- 2016-6-12
- 失敗から学ぶWEB制作
- UI, UX, WEBサイト, WEBデザイン, こだわり, だから、そのデザインはダメなんだ。, インフォメーションアーキテクツ, ファインダビリティー, ユーザビリティ, 導線設計, 情報デザイン, 情報設計

デザイナーに憧れているような若いうちって言うのは、何かと、他人からの評価とか、逆に自分が表現したいこととか、そういう見た目の独自性や主張や斬新さとか、エッヂって言うか、そういうのが「デザイン」だって思ったりするけど、いくら格好良くっても、いくらキレイだったりしても、いくら「スゴイね」「上手いね」って褒められても、それだけじゃデザインが良いとはならない。
カタログの表紙や雑誌の広告とか、「表現すること」が主体になるグラフィックデザインは、そのメッセージ性がデザインの価値を高めるものだけど、WEBのデザインは違う。それだけではまったくデザインとしての価値にならない。
工業デザインがむしろWEBデザインと近い存在だと思うけど、斬新で漸進的な芸術的要素を合わせもつような、そういうデザインであっても、その製品の価値はそれでは決まらない。消費者・ユーザーに使ってもらって、その製品の機能や性能を引き出し、その製品がユーザーの役に立つ「インターフェース」が伴っていなければ、まったく意味を成さない。
いくら格好良くっても、いくらキレイだったりしても、使えなけりゃ、性能を活かせなければ、それはデザインが良いとは言えないし、そんなもんデザインにもならない。
芸術とデザインの違いは、まさにそこにあるのかも知れない。作者の才能や作者が描く世界観に、見る人が共感することが芸術性だとすると、デザイン……特に商業デザインは、使う人の価値観や使う人の目的や欲求に寄与し、彼らの世界観を実現できる「機能」や「価値」を提供できることが重要なんじゃないだろうか。
WEBデザインがさらに複雑なのは、クライアントである発注者の目的や世界観を実現することがまずベースにありながら、その情報を欲している消費者・ユーザーが、その情報を使いこなし、理解し、評価してくれなければ、その目的を達成したとは言いがたい。どっちかが欠けても、それはWEBデザインとしての役目を果たしてないと言っても言いすぎではないだろう。
だから、そのためには、単に意匠や装飾としてのデザインや、表現手段としてのデザインと言うだけでは、WEBデザインの本質を実現できていないのだから、学生や社会人に成り立てのデザイナーの卵達が思い描く世界とは、異次元な世界ではないだろうか。
WEBデザインは、ユーザーのリアクションがあって、初めてその実力を発揮する。いやいや、実力を発揮する「トビラが開けられる」のだから、そのインタラクションを実現するためには、それに気付いてもらう必要があり、それを使ってもらうことが絶対条件であり、その結果、ユーザーが満足してもらえることが、WEBデザインの範疇である。
WEBデザインは、バリエーションなどの表現方法の違いでは語れないということ。コミュニケーション手段だと言うことなのではないだろうか。
レイアウトの違いや表現テクニックの技量の差ではなく、インタフェースとしての「機能性」の違いであり、情報伝達の「精度」の違いであり、そのWEBサイトを利用するユーザーとの「交信」であり、ユーザーが満足できたことの結果として評価されることだ。
それは、ユーザーに信頼されるために用意されたホスピタリティな「場」なんだろう。
そうやって、あるべき姿をひもといていくと、なぜ今、ユーザーインタフェース(UI)やユーザーエクスペリエンス(UX)や、インフォメーションアーキテクチャ(IA)がこんなにも着目され、重要だと思われるようになったのかが理解できると思う。
著書「だから、そのデザインはダメなんだ。」の中で、様々なケースを取り上げ、しつこく語られているユーザー視点をなぜ「デザイン」と称しているのかは、まさに「そこ!」がデザインの根幹を左右し価値を高めると信じているからに他ならない。
そして、デザインは、ただ単に素材を装飾し表現すれば済むようなものではない。デザインは、それを利用し、情報を受け取り、意味を理解するユーザーが評価して初めて成立するのだから、彼ら彼女らの理解できる表現手法である必要があるし、彼ら彼女らが理解できる内容でなければならないのだから、WEBデザインは、ターゲット論、文章表現に至る細部の隅々とのコンビネーションによる戦略的・計算され尽くした表現が必要なんだと思う。