2007年03月18日
一般に使われている「ユーザビリティ」という言葉は間違っていると思う
忙しさのあまり、最近は「写真日記(日常写真館)」とかばかり更新してましたが、今日は久しぶりにデザイン論に言及してみたいと思う。
昨年暮れから、サイトをリニューアルしたり新しいサイトを立ち上げる関係の仕事が目白押しで、昼夜を問わず僕に襲いかかってくる。それはそれでいいとして、その中で、一貫して僕が伝えている言葉は単純で、
「誰のためのウェブサイトなのか?」
という事につきる。
ウェブサイトを立ち上げる際や、リニューアルなどに際しては、クライアント側に大きな動機付けがあるもので、それを解消する事が主たる目的になる訳ですが、クライアントがイメージしている「動機」は実に単純明快で、だれもがわかるテーマである事が多い。
例えば、
〜新しい製品の立ち上げで爆発的な売り上げにつなげたい!
〜ページの遷移がわかりにくいからなんとかしてほしい。
という感じ。
そして、一般にこうしたケースで必ずと言っていいほど、担当者の口をついて出てくる言葉が、
ユーザビリティをよくしたい!
である。
ひところに比べると、ウェブ担当者の意識も高まり、目指すものの志も高くなったと言える。
僕としても、とても仕事がやり安くなったと感じる今日この頃ではあるものの、その一方で「誤解を解く」仕事が増えた感じがしている。
僕と一緒に制作をしている方々も含め、決して悪気があって言っている訳ではない事は承知で、
ユーザビイリティ≠使いやすい
なんですよ。という一言。
デザインの打ち合わせの際に、ポロッと「このページ、ユーザビリティが悪いっすね〜」などと言われることが多々あります。これはある意味で、香西に立ち向かうためのツールとして有効性が高いと判断しての事だとも思います。しかしながら、その使い方は間違えております。(´⌒`;)
IT用語辞典による「ユーザビリティ 【usability】」には、
ソフトウェアやWebサイトの「使いやすさ」のこと。
様々な機能になるべく簡単な操作でアクセスできることや、使っていてストレスや戸惑いを感じないこと
と、記されています。
確かに、「ユーザビリティは使いやすさだ」と記されています。じゃあ、なぜ!違うの????
答えは至極簡単だったりします。冒頭でも「ウェブサイトは誰のためにあるのか?」と書きましたが、ユーザビリティがいいか悪いかを判断するのは、常に使っている本人その人です。これは、検証している最中であっても、クライアント自身であったり制作者自身であったりします。しかし、いずれのケースも「主観的」な個人の感覚が判断基準になっていることに気づかれましたでしょうか?
そう、使いやすさは、そのウェブサイトを使っている人それぞれが感じる事であり、その人のリテラシーに大きく左右され、趣味嗜好にも左右されます。単純には「使いにくい」というご指摘は、貴重なご意見として承るわけですが、それが的確で適切な指導であるかとは別問題なわけです。
U-Siteにおける「ユーザビリティとは?」には、こんなわかりやすい文脈がありました。
ユーザビリティは使いにくさ、判りにくさ、などマイナス面がどれだけ小さいかをあらわす言葉と定義できます。
ターゲットとするさまざまな人が数多く訪れていただく際に、
どれだけたくさんの人が「使いやすい」と感じていただけるかの割合が高い
事こそが、ユーザビリティの良さという事だと解釈できます。
使いやすさを追求していくと、それはテキストで表示する方が使いやすいと感じるケースもあれば、アイコンなどの絵文字を利用した方がよいケースもあるでしょう。いずれのケースも、そう思わない人が対局には必ずいて、どちらのケースをも考慮してこそ「ユーザビリティ」がよいと言えるのではないでしょうか。
ユーザビリティをもっとも破壊する主犯は「デザインそのもの」です。
きれいなデザインやかっこいいデザインは、時として最悪なウェブサイトを作り上げる主犯になり得ます。このことは、かっこいいウェブサイトを作ることに夢中になっているデザイナーやクライアントには見えない(気づかない)場合が多々あり、作り終わって、公開した後に、周りから言われて初めて気づいていくケースがままある訳です。
しかしながら、誰もが使いやすいと思うナビゲーションなり画面デザインを作るのはとても難しいことです。そこで、誰のためにウェブサイトを作るのかという「基本的なコンセプト」が重要になるのです。そのウェブサイトを使う人は、
どんなリテラシーの持ち主で
どんなことなら学習してもらえるのか
を考えてみましょう。
誰もが知っている操作性をサイトに取り入れる事もユーザビリティを向上させる方法の一つではありますが、初めて接する操作性であっても、サイト全体が一貫した操作性能を持っていて、それが直感的で理にかなっていれば、一般的な操作性などを取り入れるよりも「優れた操作性」と評価されるでしょう。肝心なことは、使うユーザーの学習能力の多い少ないも考慮して、なにがサイトらしい操作性能なのかを考える事が、ユーザビリティ向上の第一歩と言えます。
そして、一部の人が操作性が悪いと感じる事があっても、大多数の人が指示していれば、それはそれで「よいユーザビリティ」であると言っていいと思います。少なくとも、僕はそう思います。
この考え方の延長線上に、視覚効果として文字を大きくする小さくするというデザイン表現に関わる問題もあります。
よく「ユーザビリティが悪い」と、文字を大きくするようにデザイナーに指示をしますが、単に大きくするだけがユーザビリティの向上ではないという事は申し添えておきましょう。
デザインのクォリティは、文字の表情やバランスによっても大きく左右され、よいウェブサイトの条件としてのデザインの善し悪しを崩してまで導入する必要のあるユーザビリティとはなにか?ということです。
そもそも、ユーザビリティあってのデザインであるべきところのデザインに対して、ユーザビリティが悪いと指摘する事は自己矛盾でもあるわけで、それは、デザイナーがユーザビリティの概念をわかってない証拠でもあるわけです。
一方で、メッセージ性という問題があります。
これはどういうものかというと、
そのウェブサイトの中で一番に伝えたいメッセージは何なのか
ということで、ウェブサイトをご覧いただくにあたり、ユーザーに隅から隅まで余す事なくみてもらう事は事実上困難というか不可能な中で、最低限みてもらいたいメッセージは何なのかを明確にし、最低限みるための動線を指し示すデザイニングが重要かつ不可欠であるということが、メッセージ性の確保と言えます。
ユーザビリティは、このメッセージ性の実現の一つの手段でもあります。猫も杓子も、何から何なで、視認性や可読性が悪いからと文字を大きくしたり色を変えたりするのではなく、そのウェブサイトの中で、
一番伝えたいこと、
これだけはみてもらいたいこと、
一番みてほしいこと
を表現することは、「誰のためのウェブサイトなのか」という基本的な考え方に通じていくのではないでしょうか。
情報をデザインすることや、サイトを設計することは、昨日今日デザインをかじった人には到底できないことだという理由にもつながるこの「ユーザビリティ」という言葉のウラ側は、デザインをよく熟知したひとほど見落としてしまう「おとし穴」にもなりうるものです。
デザインって、面白いですよね。(⌒o⌒)
投稿者 continue_kozai : 16:33 【トラックバック (0)】
2006年11月13日
千葉県初の「県ロゴ」に県民からブーイング!なんだってサ
Yahoo!ニュースー地域活性化に11月12日(日)16時 29分 更新された記事によると、これを見た県民が「ダサイ」「垢抜けてない」と大ブーイングなんだそうな。

こうやって、四角の中に入れてみると言われるほど「ダサイ」感じはしないと思うのだが、確かに千葉県が出した広報発表をみるとうなずいてしまうことしかりだ。
ボクはデザインを批判するつもりは無いが、この発表の仕方には異議が大ありである。こんな役人仕事をされたんじゃあ、このマークを開発した中條正義先生に失礼だ。ボク的には、潰れる寸前といってもよかった「銀座松屋」を銀座デパート戦争の勝者にまで押し上げる原動力となった、あのブルー地に秀麗な「MATSUYA GINZA」が強く印象的で、「ちばロゴ」もちょっとこれに近い。
![]()
さて、この「ちばロゴ」が、それじゃあ洗練か?!といわれると素直にうなずけないのにはちょっとしたからくりがあって、その一番の元凶はリリース文そのものなのである。
様々な魅力を持ちながらも、県全体としては垢抜けないなどと言われることもあった千葉県のイメージの一新を目指して、統一的に活用する新しいロゴを作成しました。
新しいロゴは、多様な魅力が集約した“ちば”の文字を使って「洗練」されたデザインとしました。
今後、PRポスターや各種広報刊行物などにロゴを活用し、千葉県を全国に発信します。
ここで言う、「魅力が集約した“ちば”」ってなんだ?「洗練された」って何をもって「洗練した」と結論づけているのか???
こういうとってつけたような報道発表には「愛」も「労り」のかけらもない
だから、県民をはじめとするこの情報に触れる多くの人が、木を見て森を見ていない結果になるのである。
グラフィックデザインは、時に芸術としての境が無くなるときがあり、その意図するところや象徴するところがわかりにくい場合がある。また、何か、新しいものを生み出すときには必ず反対意見や罵声がつきものであり、そんなことにいちいち目くじら立ててたら改革なんてできないのである。
少なくともデザイン性の価値を広報発表する義務が千葉県にはあったはずだ。
●何を持って洗練と位置づけたか?
一般的に、洗練されていると人が認知するポイントとしては文字自体のプロポーションにおいて、
書体が 太い → 細い
(線が細いほど精緻な感じがするため情報企業・ファッション企業など先端イメージの強い企業や団体が多く取り入れはじめた)
表示が 和文 → 英文
(画数が少ないほど洗練されて見えることに起因する。今回の例では広い年齢層をカバーする意味合いも有るだろうからこの限りではない)
ふところが 狭い → 広い
(ふところとは、文字を形成する部分で円弧を描いている部分の径をさし、これが狭いと伝統的なイメージがあり、ひろいと若々しさを感じる。ただし広すぎると軽くなりすぎるという難点もありつかう文字によってその頃合いが難しい)
使う場所の余白が 狭い → 広い
(空間の中での存在感であったり独自性を意味するもので、一般的には余白を広くとった中にある方がより洗練されて見える)
●具体的な活用事例の制作物で表現するのが一番
ロゴ活用の第一弾として、「千葉ブランド水産物認定マーク」と組み合わせたものを作成しました。今後、このロゴを活用したポスターの制作などにより全国にPRしていきます。また、県の様々な広報刊行物にも活用していく予定です。
などと能書きタレてないで、どんなデザインとして活用されるのかを示す方が一般素人にはイメージつきやすい。
それよりも、どんな人が、どんなカタチでこの「ちばロゴ」に触れるのかという「接触機会」がイメージできないことも「ダサイ」と決めつけてしまう要因なのである。
・お年寄りから小さな子供にまで認知できること、
・県民の象徴として愛着を持ってもらうこと、
・県外の人に、的確に「ちば」の象徴を理解して体感してもらうこと。
こうした目的が誰に向かって情報発信され、どんなメリットを県民やそれを見た人々が享受できるのかという
ビジュアル・アイデンティティの原則が欠落している
と思うのである。
どんなデザインも、最初見たときにはピンと来ないことは良くある話である。しかし、デザイナーはそういう「第一印象」をデザインの基本とはしていないワケで、「長く使い続けたときに飽きが来ない親しみや愛着を感じることができる」ようにデザインするのだから、その点を自信をもって報道発表してあげないと、情報の受け手側(県民という利害に絡む人々)には不安を残すだけである。
どんなに秀逸なデザインであろうとも、その使い方・伝え方を間違うと「愚作」と何ら変わりない。
決められたことを確実にこなすような役人などいらない。
次の世代に必要なのは「考えて生み出す」事のできる役人なんですよ。
千葉県さん!!
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投稿者 continue_kozai : 00:02 【トラックバック (0)】
2006年11月06日
デザインとWEBサイトが相容れないもの
デザインは芸術の一つだと思っている人も多いと思うが、本当の意味での「芸術」と「デザイン」では根本的に違う。芸術とは、美や調和といった概念を具象化したオブジェや絵として創造し、そしてその具象に人々が共感することで「芸術」として評価されるんだと思う。芸術には、わからない人もいれば共感し感動する人もいる。その創造主を賞賛し作られていく作品に価値が生まれるのが「芸術」である。
一方、デザインとは何か。漢字で書くと「図案」だ。図案は、
機能や生産性などを考慮して生成物として考案される意匠であったり設計を意味する。
いわば、商業的なりわいによる芸術とも言えるのだが、
根本的大きな違いは、
芸術は作った作品を少数の人が認めるだけでも成り立つけれど、デザインは、作った作品を多数の人が認めなければ成立しない代物である。
発注者・クライアントのお金を使ってデザインするという行為は、商業的に芸術と比べてリスクが高い。人様のお金をお預かりして、そのお金を効率的効果的に消費して作品を作り上げていくのだから、できあがった作品に人々が共感しないと言うことは大問題なのである。
こうした事実に気づかないのは、クライアントよりも制作者たるデザイナーに結構多く見受けられるのも事実である。
・かっこよければいい
・クールな感じに仕上げたい
・奇抜でいけてる感じにしよう
デザイナーの意図する方向やコンセプトとしては間違ってないし、それをクライアントがOKしたのなら、それはそれで問題ないだろうけど、本質として本当にそれでよかったんだろうか。
ポスターや新聞全段広告といった芸術性の高い領域のデザインも世の中には存在するものの、デザインのすべてがそうした芸術性を内包するものだけではないということも明らかな事実である。グラフィック広告は、消費者の目にとまること、認知されたことが目的でありゴールである。どんなメッセージを伝えるか。どんなカタチでメッセージが伝わるかを探求していくことがグラフィックデザインの求めていくことだと思う。
この考え方や図式がデザインとするのならば、WEBデザインは、そうした領域とは相容れないところがあると断言できよう。
Webサイトという媒体を表現するデザインの場合、「かっこいい」だけでも「キレイ」なだけでも今や受け入れられないのが現実だ。「使いにくかったり」「わかりにくかったり」するデザインは評価されない。そう、要するに、
デザイナーだけが自己満足するデザインは必要ないんです。
Webデザインにおけるデザインの本質とは、それを利用するユーザ自身が違和感なくサイト内を縦横無尽に行き来し、
Webサイトが提供する情報を享受できるシステムを「デザイン」する
ことなんです。
だから、デザイナーがクライアントに説明する「目立つ」とか「かっこいい」とか「洗練されている」なんて抽象的な言葉は、Webサイトをデザインする上では何の意味も持たない空論に他ならないと言っても言い過ぎで無いだろう。
なぜ、そうなるのか。
なぜ、そこにボタンがあるのか。
なぜ、その色なのか。
設問自体はかんたんでも、そこにいたるまでのロジックを説明できないデザインは、もはやデザインではない。
それが、Webサイトにおけるデザインなのである。
投稿者 continue_kozai : 00:06 【トラックバック (0)】
2006年11月05日
デザインにおける理想と現実。
何かを作り出したり、変化を求めたいときには「理想」というものがゴールの先にはある。
「こうありたい」「こんなカタチにしたい」「こういう効果を期待したい」など、人により様々な思惑があり、その実現を切望するのだが、それらはあくまでも理想であり、現実にそれらを実現するためにはどうすべきか。
だいたい議論を交わすときに直面する問題として、
「ある一方からのものの見方だけで結論を急いでいる」
ということが多い。
物事というのはそんなに単純な事ではないから、ある一つの仮説を立てたとしたらそれが正しいかどうかは複数の視点で検証することで明らかになる。
わかりやすく言えば、「ある商品をWebサイトで告知したい」というミッションを達成するとすれば、単にスペックを羅列したり、その特長を並べ立てるだけでは、何の効果も得られないと言うことである。これをボク的には「メーカー視点の情報提供」と呼んでいる。
まず、情報を伝えるにあたっては、
・その情報は、誰が見る情報か(ターゲットの絞り込み)
・そのターゲットは、どんな情報を欲しているか(ユーザーニーズの洗い出し)
・どんな表現手法がより効果的な情報伝達を生み出すか(ユーザビリティの構築)
・その情報により、ユーザーが享受できるメリットは何か(ユーザーベネフィットのアピール)
というステップによって構築していく。
このとき、情報提供者(クライアント)からだけの視点で情報を構築していくと、ユーザーが知りたい情報がわかりにくくなったり、探しにくくなったりするために、本当に伝えなければならない事が伝わらない閉塞した状態を招いてしまうのである。女性をターゲットにしている商品に、男性が考えた理屈が通りにくいといえばわかりやすいと思うが、読み手の立場で情報を作ることの大切さは、情報を発信する側に欠けているというのは、どんなクライアントさんのWebサイトを作っても共通の問題である。
それは、なぜか。答えは簡単だ。
「面倒くさい。」
これにつきる。
クライアントの内部文書をそのまま利用するのが一番楽だし、グラフィック広告やプレスリリースなどの既存文書や制作物を利用する方がアプルーバルも通っているし手間がない。何よりも担当者は楽なのである。Web用に特化した情報の加工は、周辺環境(ユーザーの特定や市場の動向)の調査費やら原稿の作成費やらデザイン設計費と金がかかるかかる。そして、もっとも嫌われる要素として、担当者が上司や組織の了解を得るために社内的な根回しをしなければならないこと。
時間がない。費用に限りがある。こうした問題と相まって、なかなか担当者が一線を越えるために立ち上がってくれないのは常にあることで、必要であればそういった社内向け資料の作成までも手がけることがあるけれど、往々にしてその資料の説明自体ができない場合が多く、企画が大幅に修正・縮小されることも間々あるわけで。また、担当者の趣味嗜好が強い場合もこうした論理的構築を阻害している傾向が強い。
どうしてなんだろうとボク的にもよく考えたりするのだが、決して難しいことを並べている訳でもないし特異なことを提案している訳でもない。あまりにも当たり前なことを当たり前に提案しているだけなのである。これを受け入れてくれる会社と受け入れてくれない会社の違いといえば、担当者が「俯瞰的な目」を持っているかどうかという違いになるのかもしれない。
冒頭の「理想」を強く持っている担当者であればあるほど、早急な結果を求めがちであり、盲目的に「ある結論」を出したがる。この思いがあるべきWEBサイトのカタチとベクトルが合っていれば追い風にもなるのだが、短絡的に即効性の高い効果やカタチにこだわっている事が多いために、完全一致には至らない。
ここで重要な事は、制作者は言い分を「ただ押し通す」だけがすべてはないと言うこと。担当者の思惑も柳に風で受け流すところと、体良く受け入れて部分的な改善を促したり、粘り強く長期的に変化を促していくことで、最終的理想へのゴールを目指していくと言うこと。
理想を理想と思った時点で実現できない。
とボクは思う。だから、理想論と片付けてしまわないように、常に現実路線で提案し、実現できる方法を模索する。そのためには、口だけではない「裏付け」を多く探すことにも力を注いでいる。誰もが納得できる「状況証拠」を多く収集できれば、内部調整もしやすく上司の理解も得やすい。(でもその状況証拠を収集するには費用がいるので、これはこれで痛し痒しだったりするのだが...)
まあ、
「泣くまで待とうホトトギス」
だったり、
「果報は寝て待て」
って感じでしょうか。
なかなか、理解してもらえないんだけれど、これは、担当者が気づくまでいいなりになったり、事を荒立てないという事とは違う訳で、一言では言い表せない事でもあるんですけどね。
曲がらねば世がわたられぬ
「信念とこだわり」は「わがまま」と紙一重。なかなか誤解の無いように振る舞うのは難しい側面もあるけれど、目的完遂のために、変幻自在に自分を変えながらクライアントの意に沿うカタチで、その流れを自分の流れに引き込みながらその力を利用して本来の目的を達成する力に変えていく。そのためにも、様々な視点と様々な見解を用意しておかないといけないし、時代の流れやトレンドをウォッチし続けなければならないことは言うまでもない。
投稿者 continue_kozai : 11:44 【トラックバック (0)】
2006年10月30日
つくりゃあいいってもんじゃないだろう!パスポート電子申請システム廃止
今日のYahoo! ニュースに出ていた「旅券のネット申請、2年で幕…40億かけ利用300件」に関連して、制作者側だけの理屈と理由でできてしまったサイトの行く末について考察してみよう。
9月末ですでに閉鎖してしまった同システムだが、1件あたりのコストパフォーマンスが1600万円だったとのことだが、廃止なった今では、これにシステム利用の違約金などが加算されてさらなる費用負担になることは間違いない。
■そもそもこのシステムは誰が利用するためのものだったのか
「e-Japan重点計画」だかなんだかわからないが、国の申請システムのオンライン化を進める計画のもと、構築されたこの「パスポート電子申請システム」は、
つくりゃあいいんでしょ!
と言わんばかりのザルシステムだった訳で、利用者の利便性なり、利用者の行動分析なり、周知活動なり、対象ユーザー数の確保なり、まったくもって無計画だったと言っても言い過ぎではないあきれたシステムではなかったか。
そもそも、対面で行う旅券発行のプロセスに則ってシステム開発している事が第一の間違い。実際に運用していた都県は、
2006年3月現在の利用者133人の内訳
岡山県(04年3月運用開始37人)
熊本県(05年5月・9人)
栃木県05年3月・6人)
長崎県(05年4月・8人)
茨城県(05年4月・18人)
宮城県(05年5月・12人)
埼玉県(05年7月・31人)
群馬県(05年10月・6人)
香川県(05年10月・5人)
福岡県(06年3月・1人)
と地方が中心で、東京・大阪・名古屋・札幌・福岡といった大都市が対象でなければペイできるわけもない。
賛同しなかった各自治体も、費用対効果を考えて参加しなかったと聞く。
一方で参加した自治体の実情でいうと、インターネットという特殊な媒体を利用する場合の普及環境やインターネットに対するリテラシーだったり、加味しておかなければならないことが全く考慮されていなかったのではないかと勘ぐりたくなる実数ではないだろうか。
■エクスペリエンスのないページに誰がした?!
Webサイトに訪れるためには、そのページに興味を持ってもらわなければ実現できない。そういう意味でのユーザベネフィットは、このシステムにもあったんだろうが、ユーザが体験できる「価値」はそこにあっただろうか。
七面倒くさいシステムの果てには、結局は窓口に行かないと発券してもらえない旧態依然とした体制があり、窓口に足を運ぶ回数が2度から1度になったとしても本人認証などの手間などを考えると、関心が薄くなった原因であり、利用されなかった理由でもあると思う。
お役所仕事としてかたづけてしまえばそれまでだが、結局のところシステム会社から見たら、クライアントが出す要件にそって開発をしただけのWebサイトはタダの箱に過ぎない。
クライアントがいう要件がすべて正しい訳ではない。クライアントは自分のいる環境からしか物事を見られないために、ある意味閉鎖的なものの見方をしてしまいがちで、そこを指摘して、かつ最良な環境を提案するのが私たちWEBクリエイターたちの役目と言えよう。
WEBサイト存在の意義と、そこに求められるユーザの利便性を考え、どんな仕組みならユーザがより便利になりもっと広くいろんな人々に利用してもらえるようになるか……。こんな事は、目くじらたてていう以前の話ではあるのだが。
■一般的なWebサイトにも言えること
ふつうのWebサイトでは、このような大規模なシステムを伴うことなど頻繁にあるわけではないが、小さなWebサイトを作る上でもユーザ視点での制作は絶対に欠かせない。
システム開発に限って言えば、フルスペックでもっとも使い勝手のよい形を提供できるに越したことはないが、利用者あってのシステムであり、利用者の利便性がすべてであるわけで、システムと実際のユーザ側の負担を考慮してルールの改定やサポートの充実も図らなければならないでしょう。
一般的なWebサイトでは、特にトップページなどで、情報が多岐にわたっていたりプロセスが多いWebサイトであるならば、ユーザの立場にたったシミュレーションが必要である。情報発信者側は時として盲目であり、言いたいことだけを並べ立てて満足してしまうからだ。
価値ある情報も、多くの情報の中では埋もれてしまい、ユーザの目にとまることなく流されてしまう可能性があることをしっかりと認識してサイト制作に取り組むべきである。
情報の性質や、ユーザが求める利用頻度などによって、ページ内での配置や色・大きさも考慮しなければならない。同じ情報・同じボタンでもページの右にあるのと左にあるのとではまったく利便性が違うということを、クライアントにも理解していただき、安易な情報提供にならないようにしてあげることが肝要である。
■参考
利用者視点に欠けていた行政サービスの実例--パスポートの電子申請
今、あえて提言する「パスポート電子申請は“廃止”すべきではなかった」
投稿者 continue_kozai : 17:42 【トラックバック (0)】
2006年10月23日
メディアが違えば広告手法も変わる
広告という広い意味での戦略を考えたとき、当然のごとく、表現媒体(メディア)によって表現の仕方やメッセージのプライオリティは変わってくる。これは、ターゲットユーザーの行動パターンを考えたときのユーザビリティ向上施策にもつながってくることでもあるのだが、「何を誰に向けてどのように伝えたいのか」というコンセプトレベルまで突き詰めたところでの考え方は実に難しい。
「クライアントファースト」という考え方では、どんな媒体を利用しようと訴求するポイントは一つに過ぎないが、ユーザ行動にベースをおいた考え方で言うと、広告ビジュアルの踏襲とか、イメージの統一とか、わかったようなことをいう人は多いけど、本質としての訴求ポイントをホントに理解した上で口にする人は思いのほか少ない。
いわゆるマス広告と呼ばれる「テレビ・新聞・ラジオ・雑誌」を主体とする広告とWEBサイトでは立ち位置が全く違うのである。
ざっくりとした言い方をすれば、マスは広告を見る人に情報を「伝える・認知させる」ところまでが仕事であり、WEBはマスによって興味喚起された人の「欲求を満たす」ことが仕事である。
これは、
ユーザ視点から言うとマスは受動的メディアでWEBは能動的メディアとして言い換える事ができ、
情報発信者側から言うと、
マスはメディアからの単方向メディアでWEBはユーザ意識を基準にした双方向メディア
という事になる。
もっとわかりやすく言うと、
マスは広告がユーザの目にとまったところがゴールであるが、
WEBは、サイトが目にとまったところがスタートである
この事実は、平面や瞬間的時間によってのみ広告するマスと、体験や検索といった行動と時間を伴ったユーザ自らの動作によって広告できるWEBは、あきらかに同じコンセプトを出発点としても、表現手法やアプローチの仕方が違うと言うことがわかるでしょう。
当然これは、ユーザが情報に対してどの程度興味を持っているのかということや、どの程度の時間を割けるのかということも影響し、それは一度に伝えるべき情報量の多い少ないにつながる。サイトがわかりにくいとか、使いにくいという不満はこのあたりからくるんでしょうね。
ですから、僕らWEBに携わる人間としては、グラフィック広告やCMに携わる人たちとは意見が衝突することもしばしばあるわけですが、情報の出発点たるグラフィック広告やCMの方向性や表現手法いかんによってWebサイトの方向性や表現手法が変わるために、主従関係的にWEBが言い分に負けるというケースが起こりえます。
そんなとき、WEBはどこまで踏ん張って主義主張を展開して、WEBらしい表現を勝ち取れるか……、WEBプロデューサーの腕の見せ所といえるでしょう。(^_^)b
投稿者 continue_kozai : 04:27 【トラックバック (0)】
2006年10月18日
クライアントファーストはホントの意味でのクライアントファーストではない
証券業界だと割に、当たり前のように使っている「クライアントファースト〜お客様第一主義〜」という言葉を、Web制作のサービス品質の表れとして使う人がいるようだが、これは私に言わせると大きな誤りと言える。
インターネットで検索をかけると、「お客様の創りたいホームページを実現するために・・・・・」とか、「お客様の立場に立ったWebサイト制作・・・・・」とか気の利いた文言でセールスしている会社が多数見受けられるものだが、これを真に受けてはいけないと思う。これら会社がいう「お客様」はまさにクライアントであり、それはお金を出す『当事者』に他ならない。営利を目的とするWEB制作請負業者としては、お金を払ってくれる「クライアント」の言うとおりに、要望を最大限に取り入れたサイトを制作することこそ、クライアントに喜ばれる最良の評価を獲得するための近道でもあり、ビジネスを確実にこなすための手段とも言える。
だから、「WEBの担当者がこんなことを言っている」「WEB担当者がこんなことやってほしいとオーダーされた」などと翻弄させられるなどナンセンスなのである。
こんな、レベルの低い話をとうとうとする気はさらさら無いのだが、これが結構多い事実であるだけに見逃すことができないため、あえて冒頭に記させていただいたのであるが、本来あるべき「クライアントファースト」とは、
クライアントが対象とする商売上の『お客様』が真に喜んでいただける、または、『お客様』が安心して利用していただけるWebサイトを提供することで、お金を払っていただけるクライアントの満足を充足できることが、真のクライアントファーストの意味するところである
この考え方を突き詰めていくと、サイトまたはコンテンツの設計思想そのものの根幹が違ってくるわけで、そもそものコンテンツ開発のコンセプトが確実に違うものになるわけである。一番わかりやすい例としてあげるなら、《導線》と《動線》の違いとも言える。
そもそも導線とは何か。
本来の意味としては「電気を通すための線」であったり「導火線」であったりするわけだが、Webサイト制作におけるWEBデザイナーやWEBコンサルタントの言葉としても、顧客を導き入れる道筋として「導線」という言葉が広く利用されている。
言ってしまえば、道無き場所に道を開いて、Webサイトへの情報の流れを構築する事を指し、「クライアントの意図するところのユーザーの流れを作り出す作為的人為的手法」であり、これこそがいわゆる《クライアントファースト》の現れなのかもしれない。
では、動線とは何か。
Infoseekマルチ辞典によれば、動線とは、「建築・都市空間において、人や物が移動する軌跡・方向などを示した線。設計などを行う際に機能性・居住性を判定する指標となる。」とかかれている。
これは、簡単に言ってしまえば、必然的にできる人の流れの線であり、いわば野原や森の中に必然的にできる獣道といってもいいかもしれない。この道筋には、作為的人為的な操作は介在せず、あくまでも自然な流れとしてできうるものであり、この動線にそったコンテンツの配置であったりボタンの配置をするからこそ、クライアントが真に情報提供したい相手の「お客様」が安心して利用できるWebサイトを提供することができるようになるのではないだろうか。
最終的にWebサイトを利用するのは、ユーザーであり私たち消費者である。それは、お金を出して情報を発信する側のクライアントでもオーナーでもない。この事実は、絶対変わらないし誰も疑わない事実であるのに、実際には、利用者不在のオーナーの意図だけを反映するWEBサイトになりがちなのである。
この事実は、不幸にして「クライアントの真の利益とはほど遠い、見かけだけの『クライアントファースト』」という結果をもたらすに違いない。
この点だけは、何度でも強く言える。──見かけだけの目先の「クライアントファースト」はホントの意味での「クライアントファースト」にはならない。最終利用者の『お客様』を第一に考え、お金を出すクライアントの言うことを訊かない意に沿わないWebサイトを提供したとしても、それは時間のかかる…直接的な反響にもならならないことかもしれないが、最終的にはそれが『クライアントのために一番いい』結果となりうるのである。
これが、すなわち、正しいユーザビリティ設計であり、正しい情報設計のカタチであり、本当の意味でのすばらしいWebサイト構築なんだと私は信念として思っている。
投稿者 continue_kozai : 05:23 【トラックバック (0)】
2006年05月29日
情報デザインと情報設計の違い
自分でいうのも何だけど、ウェブ制作において、たぶん今もっとも重要な職業なのが「インフォメーション・デザイン・アーキテクト」という肩書きの人なんじゃないだろうか。
今、世間を騒がせているマンションやホテルの「構造設計」なんかを考えてみると至極わかりやすいんだけど、「せっかく作ったWEBサイトなのに、構造がムチャクチャな為に、使いにくくてだれも利用しない」なんてことって良くありますよね。WEBサイトは震度5強で壊れる事はないけど、誰も利用しないために壊れることは良くあるケース。前章でもふれた「トップページデザインを真っ先に欲しがるケース(まずはデザインありき....未だ衰えず。)」はまさにこれに当たる。
デザインだけかっこよくても、使いにくかったり、中身がなかったりっていうのは言わば《張りぼて》みたいなもんで、見かけ倒しにすぎないわけですから、デザイン的な評価とユーザーの評価も分かれるところです。
では、だれでも情報はデザインできるのか!?という疑問...。できるっちゃ〜できるけど、知識の深さによってそのできばえが大きく変わるのは間違いない。
グラフィックデザインやWEBサイトのデザインなんて、いいサイトをパクる事でそれなりのカッコを整えることはできるけど、こと構造だけはパクれない。まったく同じディレクトリ構造を持ったまったく同じミラーサイトのようなものなら別だけど。
そのサイト構造にした理由なり、そのレイアウトになった理由は、ハッキリ言ってできあがりのサイトから創造するのは難しいし、想定できたとしてもそれはほんの一部に過ぎないだろう。
サイトをデザインする上で最も大切なものは何か...。
それは、
事業戦略であったり商品なら販売戦略
に他ならない。
これなくしてはWEBサイトは成立しないといっても言い過ぎではないと断言できる。サイトなりページをわざわざ金をかけて作って、一体何をしたいというんだ!と問えば、答えは「それは売りたいからだ。または世間に知ってもらいたいからだ。」と返ってくる。だったら、どうすれば、売れるのか?どうすれば知ってもらえるのか...。
押し売りならいざ知らず、この情報化社会においてそんな一方的な押しつけが通用するはずがない。必ず、受け手側の感性なり興味にマッチした情報の渡し方にあった作りというのが必要になってくるはずである。ーーそれが、いうところの「情報デザイン」であり「情報設計」なんではないでしょうか。
はて?そこで、「情報デザイン」と「情報設計」って違うの?ということになるわけですが、明らかに違います。
数式で表すと、
「情報デザイン」≠「情報設計」
「情報デザイン」<「情報設計」
だと思う。
わかりやすくいうと、
「情報デザイン」は表面的な目に見える情報を効果的に「デザイン」することを指し、
「情報設計」は成り立ちとしての情報の構造をどのように組み立てるかという目に見えない部分の「構築」を指す。
例えば、ナビゲーションメニューのデザインやボタンの形状、配置や、タイトルの立て方やそのタイトルのコピーをも含み、サイト内の移動やページ間の移動に際しての使い勝手全般を「グラフィックデザイン」的にサポートするデザイン工程全般を指すのが「情報デザイン」の役回りと解釈している。
また、サイトを利用する想定ユーザーの行動パターンを分析し、内包する製品情報やサービス情報の体系をどのように配置し、どのようなリンク関係を持たせるのか、また、グローバルナビゲーションとして立たせるメニューページはどこに設け、どのような内容にするのか、ディレクトリ内での移動手段として設けるべきローカルナビゲーションの必要性や、他のページやディレクトリへ移動するための手段や表現方法など、サイト全般に関わる構造を建築的な視点から体系化する。
さらにその上で、各ページの中での各要素の役割と情報量をも制御するのが「情報設計」の役回りと解釈している。
ある意味において、「情報デザイン」は「情報設計」の領域の延長線上にあり、線引きが難しいところがあるものの、「情報設計」されたスケルトン(骨組み)を如何に見栄え良く仕上げていくかというところが、「情報デザイン」の任務とも言える。
ここまで読むと、「情報デザイン」より「情報設計」の方が大変だし、情報設計ありきの様に思えるけど、目に触れる部分の役割は構造を管轄する設計よりも大変な事も多い。
いくら、構造が理論的に正論であっても、それを表現するデザインに説得力がなければいけないわけで、そこには、単に構造的要素を「デザインする」ことだけでない「情報を認知させるためのトリック」が仕組まれていなければならないのである。まあ難しくかしこまるわけではないけど、「認知心理学」的要素や、「統計学」的要素を取り入れて、気がついたら「サイト制作者の意図にズッポリはまっていた!」っていう図式が、「情報デザイン」の終着点なんでしょうね。
まあ、「情報設計」と「情報デザイン」は持ちつ持たれつの関係にあって、両者が引き立てあって一つのサイトを作り上げている!といえばわかりやすくもありわかりにくいのかも(^^ゞ知れませんね。
投稿者 continue_kozai : 02:23 【トラックバック (0)】
2006年05月26日
タイミングを大切にすることが出発点
デザインをする上で、「どんな内容をどんな風にレイアウトするか」なんてことはデザイナーなら当然考えることではあるけれど、それを「時間軸」で考える人は少ないのではないだろうか。ここでいう情報設計とは、まさにソコがポイントと言える。
ついこの間まで、ECサイトをはじめとして、「母の日には○○が最適!」とか「母の日のプレゼントには△▽を贈りましょう!」的なタイトルを付けて特集が組まれていたと思う。まあ、タイミング的に、母の日の前はそういうニーズが増えることもあり、まさにそれが商機に繋がるのだけれど、ぼくが言っている「時間軸」とはそんな単純な事ではない。
WEBを通じて、情報検索をする動機の背景には、その人それぞれのタイミングが存在しているはずということ。
それは、前出の「イベント」に触発されているかも知れないけど、それは、「先の話」として余裕のある時間上にあるのか、「その時」が直前に迫った時間上にあるのか、という検索している人のTPOが影響してくる。
時間に余裕があれば、じっくりと検討するためにそのページを開いてるかも知れないし、時間が無ければすぐにでも結論を求めたり要点を整理したいなど、「一目で見て判断できる材料」を探していることでしょう。これは、言い換えると情報を知りたい「深度」が違うということで、広く浅くなのか狭く深くなのか、はたまた「狭く浅く」なのかということ。
情報提供を目的とするページを制作するのなら、まさに「ココ」を探求しないといけないのではないか!一方的な情報としてメーカーの言葉や売り手の言葉で、クドクドと説明することだけが『良い情報』とは言えないのではないだろうか。『良い情報』は、内容ではなく、タイミングやTPOにマッチした情報をユーザーは指すのだから。
また、ユーザーがWEB上で情報を検索する際には、たとえば「来週は、彼女の誕生日だから、彼女へのプレゼントを探さなきゃ」などという「いつ」「だれが」「だれに」「何を」「どうしたい(買ってあげたい)」といった考えの元に検索行動しているという事実も考えなくてはならない。
ユーザーの動機行動は、明確な目的を持って行動しているという事でもあり、その一方でのサイト側としてもハッキリとした目的(ユーザーが享受できるメリットやベネフィット)を示すことがそこにヒットする近道にもなる。
この5W1Hな情報構築の考え方は、数年前にあるクライアントさんへのワークショップ講義のなかで取り上げた事があって、
・いつ(発売日とかキャンペーン期間とか)
・誰が(大抵は情報発信者やメーカー)
・誰に(コアターゲット層)
・何を(商品やサービス)
・どうしたい(特長の理解、購買など)
ということを考えたコンセプトワークをしないと、ただ作っただけの中身の薄いサイトになっちゃうよ...的な話。
この中でも一番重要なことは、「誰に」「何を」伝えるのかということだということはわかりやすいけど、この情報を的確に効果的に伝える手法が、先ほどのタイミングを考えたデザイン表現だったり、レイアウト構造だったりするわけです。
タイミング次第で、同じ人が同じページを見ているのに情報が見えたり見えなかったりする....見過ごしてるだけなのだけれど、それがWEBサイトにとっての命取りになったりします。
というわけで、構造上、
・すぐ見て概略を察知する
・ちょっと詳しく知りたい
・もっと知識を深めたい
という、深度をデザイン構造上から見て取れるような形が、それぞれのタイミングタイミングにマッチして、ユーザーの取捨選択の情報検索に引っかかってくれるのではないか....と思うわけです。
デザインだけでは表現できないこうした構造上のトリックが、これからのWEBに必要な「要件」ではないでしょうか。
投稿者 continue_kozai : 21:31
2006年05月25日
まずはデザインありき....未だ衰えず。
正直、困ったものです。
何かを変えようとするとき、真っ先に要求として上がってくるものは必ず「デザイン」だ。それもトップページ。これだけは未だに変わらない。
そうじゃないんだと、声高に訴えてもなかなか聞く耳を持ってくれないのが現実で、大抵のクライアントさんは「そういわれても専門じゃないしわからない」と異口同音。
ある意味、形のない概念だから直感的でなく、判断が難しいというのは事実としてあるのだが、見かけのかっこよさやインスピレーション「だけ」でサイトの善し悪しが判断されてしまうということには異を唱えたい。デザイン性が大切なのは今も昔も変わらないし、それがサイトの価値を左右することも事実だ。ただ、《使いやすさ》や《わかりやすさ》と《かっこよさ》や《美しさ》はイコールではない。この部分は、別の次元であり、それを踏まえて、それを内包した機能性こそが「真のハイクオリティデザイン」と言えよう。
前出のトップページだけのデザインを仮にやった場合、見栄えや変わった感は補えるが、使いにくさや気配りのなさは補えきれない。トップページだけは救いようがあるものの、手つかずの下位階層やページ間の関係性はそのままだから、トップページの良さと相まって、問題はより一層増幅されてしまう。この不具合をどの程度放置し、どのタイミングで一掃するのかが次のテーマになるであろう。いずれにしても金のかかる話だ。
予算や時間の問題は如何ともしがたく、そういった意味でも「デザインだけは...」なんて愚かなオーダーになっていく。しかし、だからといって、ちゃっちゃっと情報設計ができるわけでもなく、それなりの時間とそれなりの費用が必要な事も事実なので、そこに予算と時間を割けないということならば、それはもう「勘」でやるしかない。
ある程度のところでは、「勘」は当たっているはず。ただ、そこに裏付けがないために押しが足りないのも事実である。良いデザインは急造ではできないことを、まずはクライアントさんに理解してもらうこと。これが、情報設計デザインの第一歩といえよう。
投稿者 continue_kozai : 04:40 【トラックバック (0)】
2006年05月22日
売れない商品や人気のない商品のウェブサイト
ウェブサイト設計において、こんな手強い条件はない。最近、この手の仕事を3つ抱えることになった。自分の知識と市場との差異を検証する上ではもってこいの臨床実験と言えよう。
もともと、ウェブサイトがどのような順序でユーザーの目にとまるか。商品が売れているから気になって見に行くケースと、まったく売れてないけど、誰かが取り上げることでブームとなって見に行くケース...。前者はウェブサイト制作も容易であり、後者はチャンスが来るのをじっと待つという感じ。
しかし、ウェブサイトにおけるホントの底力は、この後者でのみ発揮されると言えよう。なぜ、売れないのか。なぜ、人々に興味がないのか。ハッキリ言えば、商品やサービスに魅力がないから飛びつかないからなのだが、だからといってまったく魅力がないかといえば、そうでもない。いいところはやっぱりあるのである。現に、そこそこは売れてるわけだしファンもいる。
一部のコアな人たちが、何に惹かれ何に価値を見いだしているのか。その一方で、人々はどこに魅力を感じないのか。ふたを開ければ、商品なりサービスの中途半端さが原因で片付けられそうなものであるけど、これがビジネスとして請け負っている以上、我々クリエイターは売れるウェブサイトを目指すだけだ。
ただひたすらに、ユーザーの声に耳を傾け、ユーザーの欲求や不満の一つ一つを解析して、その「真意」を探り、そこに到達するような構造を再構築する。このプロセスが情報設計であり、ユーザーの興味を引き入れるための道筋になると考えています。
投稿者 continue_kozai : 04:42 【トラックバック (0)】
2006年05月18日
ユーザー視点の意味するところ
いつの頃からか、WEB系雑誌やデザイン系雑誌って見なくなって久しいのだが、人が買ったそういった本の表紙をたまにチラ見していると、「ユーザビリティ」とか「ユーザ視点」とか割に取り上げていることに気づく。
ユーザビリティはいざ知らず、「ユーザ視点」という言葉は、そろそろ市民権を得てきたのかな...と思う。
そもそも、ユーザ視点って何だろう。われわれクリエイターは、まずクライアントからの要望をオリエンで受け、クライアントがやりたいことや実現したいことをオーダーとして請けるわけで、その願いを達成するためにどんな企画やデザインにしようかと、頭を悩ませているのが実際ではないかと思う。そのできあがった案をプレゼンするのも善し悪しを判断するのも、クライアントだから。
しかし、ほんとうに忘れてはいけない事として、「でも、そのサイトを使うのはユーザーなんだ」ってこと。いくらクライアントのお金でクライアントの要望を叶えようとも、ユーザーが見向きもしない、ユーザーがサイトにストレスを感じて来たくない使いたくないと感じてしまうことは、本来から言えば、クライアントの要望を満たしてないことになるんだと思う。
そういう意味からも、最近、ぼくのところに来る話として、「使いやすい構造設計をして欲しい」「このサイトのダメなところを直して欲しい」という要望が持ち込まれてくる。
でも、決して凄いことをマジックな事をぼくは仕事としてやっているのではなく、ぼく自身がユーザーになってそのサイトを訪れて、そのサイトを使って感じたことを、感じるだろうと思うことを基準にして、気持ちよく、楽しくサイトを使える為に、自分だったらどういう順序でサイトを巡回するとか、どういうコピーだったらボタンを押すだろうとか、作り手の立場でユーザーの事を考えるのではなく、ユーザーの立場で作り手の気持ちを推測しているだけに過ぎない。それが、ぼくの、ユーザー視点のあり方なんです。
言ってることは、とても当たり前でまっとうな事だと思うでしょうか。でも、実際、やってみようと思うとできないところが、ぼくのところに話が持ち込まれる一番の理由なんでしょう。
ほんの僅かなアプローチの違いが、発想の転換に繋がり、それは言われればもっともな話で、「コロンブスの卵」なんでしょう。これが、これからのコンティニュのメインワークであり、コンティニュのカラーになっていくんだと思います。
でも、その礎になっているのは、やはり読みあさった知識だけではなく、20年来の経験がものを言っているということは明らかだと思います。
投稿者 continue_kozai : 01:14 【トラックバック (0)】



