2009年12月24日

気がつくともうクリスマス・・・

元旦に更新したっきり、もう347日も経ってしまった。
そして、メリークリスマスです。

来年は、いい年でありますように。

投稿者 continue_kozai : 16:47

2006年11月18日

積木を崩す勇気、ありますか?ーー人生設計に必要な勇気

積木を崩すと言えば穂積隆信著「積木くずし・親と子の200日戦争」があまりにも有名なんですけど、ここでいう「積木をくずす」のは、親の期待や家庭ではありません。自分が積み上げてきた「過去」です。

■その積木は計画的に積み上げられた積木ですか?
積木って言うのは、四角だったり三角だったり円柱だったりといういろいろなカタチの木やプラスチックでできたアイテムを崩れないようにいろいろな積み上げ方をして遊ぶ玩具ですけど、これって、人生にそっくりだと思いませんか。
人生って、いろいろな出来事や文化や驚きがあって、それらの一つ一つに共感したり激怒したり悲しんだりして、それらを心に刻んでいくモノですよね。そうした、経験が

自分という価値を積み上げていく

と言えるのではないでしょうか。

ボクは、大学は出ていません。専門学校からしがない小さなデザイン事務所に就職して、あまりにも自分の将来にとって糧にならないと、判断してとっとと辞めてしまいました。
このとき、親が大あわてで反対したことを覚えています。
「なんで3ヶ月もたたないうちに辞めたんだ!」
「どんな仕事にも身になる事があるんだから続けることが大事だ」
「せっかく先生に紹介してもらって入ったんだから」
どれも、ボクの心には響くことはなく、明確に心の中で叫んだことは、

30歳になるまでもう時間がない!

という一言。
二十歳からデザインスタジオでアルバイトをしていたボクは、諸先輩方が次々と独立してフリーになっていく姿を見ていた。自分もいつかはそうなるんだと心の中で描いたとき、フリーのデザイナーになるための条件ってなんだろうって考えたのである。諸先輩方が一様に口にする「30歳で独立」という言葉は、いつしか自分の目標にもなり、30歳までに自分が覚えること、身につけること、盗める技術のことを思い描いたものだ。
当時、ボクがもっとも傾倒していたことは「コーポレート・アイデンティティ」である。そのための知識を書籍を買いあさり、電車の中では中吊り広告の「ロゴ」をただひたすら観察する。
そんなわけで、ロゴ開発・コーポレート・アイデンティティができる会社として専門学校の先生のツテで無理に採用してもらった会社なんである。

ボクにとって、この会社から得るモノはもう無い。と、2ヶ月にして思ってしまったわけですね。ワンマンな社長と技術力の低い先輩と、極めつけは「スーパーの値札を書くPOPライター業務」だ。POP書きもタイポグラフィーの勉強として成立はすれど、そう長い時間はかからない。もう潮時である。
その会社に入るまでに使ってきたエネルギーも相当のモノだったが、今でもこの選択には間違いなかったと自信を持って言い切れる。

このとき、ボクはボクなりの人生設計と30歳になるまでのビジョンを漠然とながらも描いていたが、その積み上げ方に間違いが生じていたのである。少々危なっかしい積み上げ方をしてしまったために崩れそうになり、崩れないように次の積木を積み上げてみる。すると、その積木のせいでまた崩れそうになり、またバランスをとるように次の積木を積んでいく。

無駄に積木を積み上げて大切な人生を浪費するよりも、将来をもう一度見て、積み上げ直す方が断然自分のためになるのではないだろうか。人生って土俵だとわかりにくいかもしれないけど、仕事の場合だとわかりやすいと思う。


■悪あがきする仕事ほどうまくいかないモノ
デザインなどでは良くあることで、変なデザインが上がってきたとしよう。納期が無い場合だと、デザインにてこ入れをしてなんとか体裁をとろうとするのではないだろうか。これが、積木の積み間違いのはじまりである。

ダメなものはダメなのだ。

判断を間違うと、本当に取り返しがつかないときがある。修正が修正を呼び、あげく体力勝負になっていくのである。デザイナーの健康やクライアントとの信頼関係にまで発展していく事にもなりかねない。だから、積木を崩してしまった方が正しい選択ができると判断したら早くやることである。

壊す勇気を持つ。

ボクがいつも若いスタッフに言っている言葉だ。もったいないと思った時点でその事実を続けるのかを考えるべきだ。


■積木の積み間違いはなぜ起きるか
明確に言えることは、「行き急いでること」ではないだろうか。早く結果を出そうとしたり、物事を軽く見てしまい落とし穴にはまるなど、目先の事だけに気をとられて本筋が見えてないからではないだろうか。時間が無ければ無いほど、みんなショートカットよろしく途中の行程を省きがちだが、そういう時こそじっくりと確実に足を固めて進むべきなのである。
安定した土台となる積木を積んで、どっしりとした積木を積んでいくのである。
また、その逆で安全策を講じて失敗するケースもあるだろう。時間がないから冒険できないと守りに入るケースである。時間がないときほど、求められていることが、守りにはいることではなく攻めることだったりするわけで、失敗のはじまりを招いてしまう。

チャレンジして失敗を恐れるよりも、
何もしないことを恐れろ。

と本田技研工業の創始者である「本田宗一郎」が残したように、やるにも辞めるにも進めるにも止まるにも勇気が必要であり、その判断をしないでずるずると現状打開をしないことに大きな危機感を持つべきである。


■今回のコンティニュ的こころ

人生は
マラソンなんだから、
百メートルで
一等をもらったってしょうがない。

起業アドバイザー奮闘記「ビジネス格言辞典」より〜
元東京芝浦電機(現在の東芝)社長・第2代経団連会長を務められた「石坂 泰三(いしざか たいぞう)氏」の言葉である。
短期的な目先の事に翻弄するよりも、もっとどっしりと自分の将来をしっかりと考えるべきなのである。だって、人生は長いんですから。小さな事に一喜一憂するよりも人生というロングランを有意義に過ごすための自分探しをしようよ。

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2006年11月16日

ONE to ONEな「はがき」って、ドキドキする。Jプレス松屋店からのDM

以前に「ダイレクトメール(はがき)の効果」というタイトルで取り上げたことがあるけれど、J.PRESS松屋店からまたDMが届いた。
メールというデジタルな世界にどっぷりと浸かってしまうと、手書きで綴られる一枚一枚に込められた思いがとても心にしみてしまうんです。それが、営業ツールだとわかってたとしてもね(^.^)。

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■はがき1枚のもつ魅力
ONE to ONEマーケティングな考え方というのは、インターネットのこれからのあり方として非常に参考になる事象で、それをWEBサイト上でも実現すべく様々なアプリケーションやシステムが開発されている中、

昔ながらに、こつこつと手紙を書くことによる「心のつながりやふれあい」を大切にすることが、まだまだ存在してるんだなぁ〜」なんて思ってしまうほど、和んでしまいました。

正直、たくさんのお客様の中から特定の人を記憶するって事は、販売員としては至極当然のことなのかもしれないけど、その特別な客になれる受け手側は決して悪い気にはならない。客商売の基本とするところだし、過去の購買記録や来店したときの印象とかをつなぎ合わせて、それを字にできるってことは、やはり営業的センスが有るんだと思う。

決して着飾ることのない、普段着な文章は、人の心をつかむ。
身近な出来事から、次の購買機会を創出する文章力なんていうのはやっぱり経験がものを言うところかもしれない。

そこまで商売っ気を感じてしまうのに、もらってうれしいっていうのは、手書きの字が持つ「書いた人の人柄とか感情」が伝わってくるからなんだろうね。


■メールの冷たさと凶器にもなる危なさ
一方で、タイピングの結果として伝送されるメールは、文章としての成り立ちや伝えるべき字ヅラは同じでも、「感情も気持ちも」表れることはない。
昨今の、いじめにまつわる自殺騒動も、そのいじめの根底にある陰湿さは、メールという文化が助長してしまったのではないかとさえボクなんかは思ってしまうモノだ。
娘にも何度か届いたことのある「心ないメール」は、感情の制御が効かない凶器として純粋な心に傷を残すことだろう。気軽に簡単に送ってしまえるメールは、抑制したり考えを改めたりするだけの時間も猶予も与えない。本能的衝動的に起爆装置を押すかのように送信ボタンを押すだけで、発射できるのだから。


■今回のコンティニュ的こころ
本心でないことでも、言葉が一人歩きしてしまうと本当に危ない。既成の表情しか持たない活字からでは伝わらない「書き手の心の表情や書いているその時の時間や空間が織りなす情景」を手書きという原始的な手法で、もっともっと日常的に、実践することは現代人にとって忘れてはならない事なのかもしれません。
蛇足ですけど、商売っ気がちょっと見え隠れしてるんですけど、二つサイトをご紹介しておきます。

→手紙って、ドキドキする。
→「手紙」公式ブログ

手紙にもう一度向き合ってみませんか。きっと新しい自分が見えてきたり、
和んだ心が、人との出会いをもっともっと楽しくしてくれるかもしれませんね。
これからは一年でもっとも出会いを大切にできる季節ですから。皆さんもがんばりましょう(^.^)

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2006年10月27日

電通「鬼十則」に学ぶクリエイター魂

広告業界をはじめとして、その名言が響き渡る電通4代目社長吉田茂雄の「電通鬼十則」。
電通マンたるものの心構えを説いたものだが、
ここに掲げる精神は、本来クリエイターが持つべきクリエイティブ魂とも言える教訓が詰まっている。

■電通鬼十則
一.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
一.仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
一.大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
一.難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
一.取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
一.周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
一.計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
一.自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
一.頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
一.摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

■むしばんで行くデジタル業界
デジタル化が急速に進む昨今にあって、デザインを志す若い世代も急増し、業界としても賑わいを見せている一方で深刻な人材難が僕らの首を絞めている。
気づいている人も多いはずだが、このデジタル化時代が「怠慢で大味なクリエイター」の温床になり、「自己満足と自己顕示欲」が強い「勘違い野郎」を生み出している。
カタカナ商売の代表として、たびたびテレビドラマでも登場するデザイナーという職業は、決して華やかなものではなく羨ましがられる商売でもないのに、そういったことに夢を描き、デザインの門をたたく人が多い。しかし、本当であれば、こうした勘違いした輩は厳しい現実に淘汰されて行くのであろうが、実際にはその逆の現象が起きているという事実は嘆かわしい限りだ。
急速に拡大した行ったデジタル社会は、猫も杓子もデジタルクリエイターになれる時代を作り上げ、ちょっとグラフィックソフトが使えればデザイナーとして採用され、ソフトウェアが作る「偶然の産物」を作品と呼び絶賛され、法外な給与が与えられて虚像としての「実績」を築く。
もともと、デザイン業界は師弟関係の上に成り立つ、とても厳しい業界だった。下積み経験も長く2年や3年はずっとこき使われて、黙々と使いっ走りに奔走して自分の時間などない。


■積極的思想と自分を戒めることができる強い精神力
だからこそ、デジタル化時代の前を生きた諸先輩方は少しの時間を惜しみ勉強し、先輩の仕事っぷりをつぶさに観察して盗める技術はしたたかに盗む。夜遅くまで会社に残ってはこっそりとデザインの練習をする……。少しでもいい仕事があれば喜んで飛び込み、寝る間も惜しんで仕事に没頭したものである。
また、酒を飲んではデザイン論で同僚と言い合い、一方では他人のデザインや広告を餌に酒を飲む。
そのデザインの意図は何なのか。自分ならどんなレイアウトにするかどんな書体を使うか。自問自答し、自分の技術の鍛錬に余念がない。
最近では裁量労働が当たり前になり、ヒヨッコでも一人前に扱われて自己管理をさせられる。
労働条件の改善はありがたいことではあるけれど、「体調不良」を理由にして簡単に仕事を休んでしまえる土壌にもなって、仕事にしがみつく気力なりやる気が損なわれていないだろうかと心配の方が多い。

こんな時に、電通鬼十則に巡り会った。
与えられた仕事に与えられた目標のみをクリアーするだけの人、
トラブルや余計な仕事を恐れて、自分からはアプローチしたがらない消極的な人、
ミスを怖がり、自分のできること考えられること以外はやりたがらない人、
質や問題意識を問われると開き直る人、
自分の失敗やミスを認めずに他人からの影響だけをひたすらにアピールして自分を正当化する人
こうした人たちは、業界には不要といってもいい。
戦略や思想もないまま、クライアントの言いなりになったりクライアントの間違いを正せなかったりするのではなく、しっかりとした自分としっかりとしたデザインの方向性を見定めて、
いつどんなタイミングで、どんなアプローチを仕掛け、どこで間違いを正し、どこで飛躍のアプローチを作るか、自分自身の意識を研ぎ澄まし、自分自身の野心を大きく持つことで、圧力や重圧にも耐え、新しい自分とすばらしい飛躍した未来を手にすることができるでしょう。


■今回のコンティニュ的こころ
ボクが書籍にサインを求められたときは、必ず「こだわりこそが、デザインの質を上げる」と書く。
ボクにとっての信念とも言える決意だ。
少しでも時間があれば、少しでもこころに余裕があれば、少しでも上を目指す。
そのために、つらい思いをすることがあっても、
自分が生み出し、世に送り出すデザインには最大限の自信を持ち、作るこころの手は緩めない。
これは、自分自身へのこだわりと自分自身への戒めでもあるけれども、
クライアントへの忠誠とクライアントへの最大限のプレゼントでもある。

投稿者 continue_kozai : 08:37トラックバック (0)

2006年10月21日

出会いは偶然ではない。

人は、一人では生きてはいけない。多かれ少なかれ誰かの影響を受けて生きている。それが一瞬の出会いであったとしても、その出会いが巡り巡ってまた新しい出会いを生んでいるに違いない。
仕事をするということは、一人の力でできることなどホントに少ない。何かしらの力添えなり影響力を他人から受けながら仕事をしていると言っていいだろう。


■巡り合わせと運命
ちょっと宗教的で神懸かり的な話になるかもしれないが、人は誕生する前から運命が決められているんじゃないかとボクは常々考えていて、自分に影響力を持っている人やその逆の人に出会うたびに、この人との出会いは偶然ではなかったに違いないと思うのである。なぜなら、その人の存在は強く心に残り、多かれ少なかれ自分の人間成長に影響し、その人がいなかったら自分というものが無かったのではないかと思うからだ。
一生のうち、誰にあって誰と別れていくかなど、自分が決めることだと思うかもしれないが、本当にそうだろうか。
一見、偶然に見えたりすることも、巡り合わせでそうなっていたり、自分が一緒になりたかったり再開したいと思っても、なかなかタイミングや機会が無く出会えないなど……、自分の力とは違う力が働いているとすれば納得できるわけだ。
ボクは、この偶然的出会いは基本的に大切にする方だ。仕事上の事では、頼まれた仕事は基本的に断ることはない。自分の関与が少ないとしてもできるだけのことはする。ボクという人間を頼ってきてくれたこと、ボクという人間を認めてくれたことに感謝し、その時々で精一杯できることで「なにか」を返すようにしている。
何日か、何年かたって、新しい巡り合わせがあったとき、いつか何かの縁で出会った人が、その新たな出会いのウラで動いていたりするから驚きである。人との出会いは、巡り巡って新たな出会いを生み、その出会いは自分を大きくしていく新たなチャンスにもなっている。

その一方で、出会いを拒否したり、出会いを大切にしなかったり、チャンスから逃げたりすることもある。そんな局面ではこんな事を考えてみる「なにかを自分がしようとするときに、障害や問題は起きないか」と。
もし自分がしようとしたその行動が、運命とは違う時は、何かしらのトラブルや激しい説得に会い、なかなかその意志を全うできない。そんなときは、その行動は思いとどまり耐えるようにしている。これは、うまくいっている自分が望んでいる出会いやチャンスであっても、なかなかそれが実を結ばなかったりうまくいかないときは、きっぱりあきらめる様にしている。

嘘かまことは、ボクはこうして40年以上を生きてきた。
25歳で独立してフリーになり、仕事はほとんど無かったが、様々な方からのお力添えや出会いがあり、今を迎えた。
そして、ボクは25歳の自分が想像できなかった今を手に入れ、自分に影響を与えてくれた人たちや、自分を導いてくれた人たちに感謝し、今でも知り合いの知り合いによる新たな出会いを大切にしたいと思う。


■新しい技術やジャンルの仕事との出会い
ボクは元々グラフィックデザイナーとして、小さなデザインスタジオからコツコツと小さな仕事を積み上げて来た。一生グラフィックデザイナーでいるのかと思ったが、ボクにはいくつかの転機があり、その転機には、必ず新たな人の出会いがあり、その裏に、ボクを育ててくれた人たちの影響力なりボクへの期待があったことを伝え聞いている。
そして今、WEBデザイナーからWEBプロデューサーへの道を歩み、情報デザイン設計という新たな分野に自分の生きる場所を見つけている。


■今週のコンティニュ的こころ
自分の成長とは、人とのコミュニケーションに他ならない。自分のスキルアップは自分の力だけでは絶対にできない。自分よりすばらしい人の一挙手一投足を観察し、その人の知識を盗み、その人の上を目指そうと自分を奮い立たせて、自分の成長を積み上げていく。一方では、自分よりも劣っている人の行いやミスを見ては、反面教師にしてどんなときにミスが起きてどんなときに他人に悪い影響を与えるのかを客観的に観察し、自分だったらどうするかどんな立ち居振る舞いをするかを悩んでみたりする。
自分の意に沿わない、自分の考え方には合致しないと、壁を作るだけ作ってコミュニケーションを遮断してしまわないように、自分は基本的に間違っているのだというキモチで、自分に影響力を持っている人の話に耳を傾けてみよう。
いつかきっと、すばらしい自分がそこにいるはずだから。

投稿者 continue_kozai : 22:10コメント (2)】 【トラックバック (0)

2006年10月15日

ことわざから見た「人間的成長」とは?

人間も30になると、一人前だと言われるようになる。そして、自分自身にも自信みたいなものが沸いてきて、人からの言葉をなかなか訊かなくなってくる頃でもあるのではないだろうか。
人が成長するコツは、他人からの忠告に耳を傾け、その意味を理解して自分の心に刻み込み、自分がその言葉を実践できるようになることだと強く思う。

■自分を強く持っていた頃の自分
昔から自分は人よりよくできると思ってはいたものの、人よりも物を知らない、知識が狭いともよく思っていた。AB型の典型的性格だと思うけど、いわゆる狭く深い知識である。著名なデザイナーも知らないし、ファッションの潮流も知らない。全く持って世間とのズレは甚だしい。
でも、クリエイターとしての自負だけが自分のよりどころであり、大きな自信としてあった。
そんな中、ある企業の一大プロジェクトのメンバーとして声がかかった。うれしい。自分はこんな大きなプロジェクトに参加できる資格があるのかと疑心暗鬼になりながらも、なんとかついて行こうとした。
会話に出てくる言葉がわからないからと、「カタカナ語辞典」を買ってみたり、サイトを調べたり。ただ、こと、デザインになるとそういった謙虚さはなく、我が強く、パートナーである制作会社を罵倒する。
プロジェクトが終わり、サイトが公開されるまで、自分自身の正当性を主張して制作会社の意図や方向性を認めることは無かったと思う。そんな自分を周りはどんな風に見ていたんだろう。

■ボクが急激に成長した最大の理由
そのプロジェクトを終えて、もっとも強く思ったことは、
「納得のいかないできあがりや方向性をどう理解するか」
という事だった。
自分のqualityレベルからすると遙かに下回る完成度に納得できない。しかし、このレベルに納得している人が多数いたことにも正直驚いた。天下の大代理店のクリエイティブに携わる人たちが賞賛する。なぜ?
その人たちに共通するものは、クリエイティブに携わっていながら自分ではものを創らない人たちだと言うこと。言葉とニュアンスで制作会社を操る。イメージの方向性を正しいレールの上にのせるのが彼らの商売とも言える。ああ、これがプロデューサーってやつ?!
当時口論の絶えなかった直属のプロデューサーに対して、「ボクはこうして生きてきたし、ボクは変えられない」的なことをしきりに言っていた記憶がある。ただ、心の中で「自分が変わらなくっちゃ」という思いが芽生えていたのは事実だと思う。
なぜなら、もう30半ばにして、中途半端な技術力だけで生きてきて、家族を養う唯一の方法が体力と気力。これは、年齢と共に衰えもし社会からも見放されていく。
自分を主張するのではなく、人から認められる主張が言えるようになることこそ、将来の自分を創るのだと強く感じた瞬間だ。
当時のプロデューサーは、はっきり言って人間として一番嫌いな人種だが、仕事の師としては尊敬できる人だ。
プロジェクト遂行のために、冷酷までに冷たいハンドリング。これははっきり言って真似できない。でもすごい。
何度も何度も、その人とのやりとりを思い出しては自分のことに重ね合わせてみる。それでいいのかと問いただしてみる。

そんなこんなで、がむしゃらに仕事に向かっている自分が、いつの間にか、人に認められる主張が言えるようになっていたと思う。

■視点を変えろ、人の話を訊け!
「木を見て森を見ず」
よく言い当てたものだ。クリエイターとして粋がっていた頃はまさにこれ。一つ一つの細かいディティールにこだわって、全体の中での優位性とか必然性が目に入らない。一つがダメだから全部がダメだという理論に落ち着く。
これを解決するのは至って簡単だった。物事を、結晶ができるかのごとく一つのタネから身を付けていく成長型の発想ではなく、全体像をまず描いて、それを分割していく細分型に変えればいい。
「それは、なぜ必要なのか」
単純にこの理由だけを突き詰めていく。ものが存在するためにはそれなりの理由が必ずあるはずだ。理由がないところにものは存在しない。ところが、成長型だと、ものが存在するために「理由が必要になる」のだ。後付の理由は脆い。
この概念は、情報設計やユーザビリティを突き詰めていけば行くほど明確になっていく。
自分が技術に溺れていたころの発想を、見事に逆転させて、それは裏付けとして理解するようにしたら、制作会社とのやりとりもスムーズに行くようになる。(一部の制作会社さんとはなかなかうまくいきませんけどね。未だに。)
「良薬口に苦し」
人はなぜ、忠告をするのか。アドバイスは自分の都合のいいものだけではなく、自分が承伏できないものこそが良質のアドバイスとなりうる事もある。自分が尊敬できる人、そうでない人いろいろいるけど、その人たちの立ち振る舞いや一挙手一投足を見逃さず観察し、自分との違いを見つけ出す。すると、自分が今までつまずいていたことや悩んでいたことの解決策につながっていく。自分の主張を押し通すのもよい面もあるが、素直に他人の意見に曲げられてみるのもいいことだ。
「曲がらねば世がわたられぬ」だ。
ただ、相手が間違っている場合を見極めることは難しいものがあるけど。

■今回のコンティニュ的こころ
自分が負けるのは悔しいはずだ。だからこそ、その負けた要因を自分なりに分析してどの部分が至らず、どの部分を学ばなければならないかを突き詰める。
「失敗は成功のもと」
その自分の失態を反面教師にして、自分の成長に役立てよう。自分が至らないことを正直に認めよう。それが大事。
「するのは失敗何もしないのは大失敗」だ。

投稿者 continue_kozai : 16:38トラックバック (0)

2006年06月18日

デザインのセンスとデザインクオリティ

もともとデザインのクオリティについては、「香西はうるさい」との定評を頂いています。
ある制作会社では、「香西価格」というのがあり、他のプロデューサーからの発注より1割2割高めになっているそうです。これはそれ相応の修正がひつようなためなんだとか。
また、ある制作会社からは「香西さんから直しが入らないことはない」と豪語されちゃいました。
そんなにうるさいですか?ボクって。自分的には、クオリティというより「センス」を問うており、このテーマにこのセンスはいかがなものか...と修正を入れてるのですが、制作会社的な妥協点の低さに辟易します。ボク自身、自分のデザイン性やこだわりは自負しているものがありますが、他人のデザインにケチをつける気はさらさらなく、いいものは良い!と率直に思うわけです。
でも、自分が仕事をさせていただく中で、まったく修正を入れないデザインを挙げてくれる人というのは、20年来の仕事の中で片手で数えるぐらいしか居ません。あとは、やはりどこか考え方の甘さが露呈していたり、説得力に欠けるデザインといっても良いものになっています。
特に傾向として多いのが「一つ一つのアイテム表現はおもしろいし素敵」なのに、全体バランスが崩れていて独りよがりなデザインになっていることでしょうか。これは「センスがない」という事だと思います。また、全体的なまとめ方は良いものの、ひとつひとつのバランスやコンビネーションや間の取り方がイマイチなのは、「クオリティが低い」という側面と「まとめ上げるセンスがない」の両方がいえるでしょう。
この二つをこなせるデザイナーは、ハッキリ言って仕事に困らないはずです。とても上質なデザイナーだといえます。

ところが、つい最近、この定説を覆す仕事がありました。

デザイン的にも、まとまりがあり、一つ一つのアイテムもこだわりがあって、誰が見ても自信のあるデザインとして仕上がっているクオリティを有している。そんなすばらしい香西も納得のデザインが、クライアントの担当者の「感性」にマッチせず、だめ出しをくらう...しかも3回も。
デザインを表現する上での大局観は、その商品の世界観や市場での存在感、消費者が受けるだろう感受性などを総合的に判断しつつ、メディアやカタログなどのグラフィックが作る世界観も考慮して、ウェブのデザインを決定していくわけですが、クライアントにそうした一貫した感性なり「デザインセンス」が無い場合、この理論はみごとに崩れていき、見た目のインスピレーションに翻弄され、行き先の見えない「個人の好み」に走っていくことになります。
結果的に、美しいデザインにはなりましたが、果たしてそれがそのプロダクトのデザイン性や商品性をイメージしているのかと問われた場合、制作者としても疑問を感じざるを得ない結論でしょう。

そういうことを考えると、発注者たるクライアントの担当者の「資質」も問題だろうと思うのですが、その暴走を止めるための方策が必ず必要なワケですが、やはりお金の力関係を崩すのは難しいという結論に達します。
ただ、やはりすばらしいデザイナーの力があったからこそ乗り切れた案件でもありましたが、ボクとデザイナー二人が異口同音言っているデザインが決定しての感想は

「この色表現だけは納得できないですね〜」ということ!

今後は、こうした圧力をはねのけられる「言葉のスキル」をマスターしていくこと!に尽きるんでしょうね。

投稿者 continue_kozai : 16:59トラックバック (0)

2006年05月28日

ダイレクトメール(はがき)の効果

あえて公言する必要もないのだが、ハッキリ言って「ファッションには疎い」。渋谷系とか青山系とか、さっぱり。っていうかついていく気もない。
性格的なところもあったりするのだが、ボクの衣服に対する感覚は16歳の時に停止してしまった。それから26年一貫して変わっていないスタイルが「アメリカントラディッショナル」。いわゆるIVYですかな。

■ボクが26年こだわり続けているファッション
幼少のころから、いいものを来たことがないので、16歳で「MEN'S CLUB」を普通に読む人に驚いた。そして当時静かなブームを迎えていたIVYの第2次ブームにみごとに感化され、着るなら「Jプレス」。ブレザー裏地の赤いラインにとてつもないステイタスを感じ、一方で金額的な手のとどかなさがまた一層感情をそそる。
というわけで、初めてJプレスの袖に手を通した20歳の時から今も昔もずっとJプレス。以来買う服といったら、Jプレスか、ラルフローレンか、ニューヨーカーか、ブルックスブラザースかVANしかない。それもVAN以外は、松屋銀座のみ。他ではまず買わない(っていうか売ってない)。

■久しぶりの豪快なお買い物
さて、やっと本題。ゴールデンウィークに久しぶりに家族連れで、ブレザーやらスラックスやらをまとめ買いしに、松屋銀座のJプレスを訪れ、それぞれ2着ずつとシャツを2着買いました。その後、1本取り寄せになったスラックスを忙しさのあまり取りに行けず、2週間以上放置してたんだけど、先週月曜日にやっと取りに行きまして、またその時にシャツを2枚ほど買いました。で、その時の店員さんがめちゃくちゃ腰の低い人で、そんなにへつらわなくてもいいんじゃないと思うほどに良くしていただき、「以前に、ブレザーをお買い求め頂いたときの担当から、お葉書など出させていただいてもよろしいでしょうか?」などと尋ねられ、どうせ秋冬とかのバーゲンのDMだろうと快諾して住所を書いて帰りました。

■ふたつのダイレクトメール
週も明けてない数日後、JプレスからDMが届いていました。Jプレスのでっかいロゴをあしらったブランドイメージの絵はがきのウラに、びっしりと手書きのメッセージを添えて。正直、「あの店員、俺のこと良く覚えてるじゃん。家族連れだったことも明るめのシャツが好きなことも」。
ハッキリ言って、それが商売なんだし、商いの基本でもあるわけで指して驚きもしないのだけど、今このインターネット時代においてこうした原始的ONEtoONEなマーケティング手法は見直されているし、新鮮だったりする。少なくとも、このはがき一枚で二度と行くまいとは思わないし、また行こう!と思うのである。(っていうかココしかないしね(^^ゞ)
で、一方、先週ある会社さんのスタッフ二人から別々に季節のグリーティングカードを頂いた。いつも季節の変わり目になると送られてきて、いったいなんだったっけなぁ〜と首をかしげるDMです。結構、仕事的にご無沙汰してると、「ああ、こんな会社もあったっけ。今度発注するか〜」とも思うけど、結構頻繁にお仕事をさせていただいて、メールのやり取りもしてる担当者から、あえて別々に同じはがきを2枚もらっても、その意味が理解できなくて、結局置き場所に困ってしまう。

■今回のコンティニュ的こころ
担当者の名前まで一緒に刷り込んである宛名シールを貼って、大量印刷された絵はがきを別々に送付して、彼らは何をしようとしているのか。
せめて、一言二言、日頃の感謝や次の仕事への意気込みぐらい書き込めばいいのに。
はがきを出した=コンタクトした。こういう図式に疑問を抱かない社員の意識もさることながら、そういうシステムを良しとして矛盾を感じない会社にも明るい未来は無いような気がする。

投稿者 continue_kozai : 00:28トラックバック (0)

 
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